忍 生き死にの戯言(Soi13)
最近つくづく思う。
毎日の生活の中で、だれがいつどこで死ぬかホンマわからん。勿論自分も。当たり前やのに、そう感じて用事してる間に、その感情や意識は
忘れてる。もちろん、そんなことを四六時中考えてたら気も心も休まれへん。どこへも行かれへんし、ノイローゼになるわ。
正味、家で座禅組んでじっとしてるのが一番長生きするんちゃうか。
飲まず食わずはちょっと厳しいかもしれんけど(笑)
でも、隕石や飛行機が突然突っ込んでくるかもしれん。
狂ったやつがいきなり包丁振り回して、殺しに来るかもしれん。
あまりに極端すぎる話やけれども、ゼロではない。
確率の問題だけであって。
でも事実。
事故、交通事故、病気、他殺etc…
人はいつか死ぬ。
当たり前や。
何を言いたいかというと、その当たり前のことを、人は時に忘れるなぁ。魂は残る残らないの話はおいといて、生と死、命という意味で。死ぬんやけども、最初にいうたように死ぬことばっかり考えてもおかしなるから、今はこうやって生きてるから、今、ここに生きてる事を意識して感じれればええな。精一杯、今生きてることに感謝して、自分がこの世に生きた証を刻むべく、思いっきり人生を生きたらええと思う。夢があるならその夢に突き進むもいい。好きな子がおったら、素直に「好きやねん。付き合って」いうたらええやん。自分の命よりも大切なものがあるなら、命をかけておもっきり守ったらええ。戦争や殺し合いとかではなく。
そう考えたら、皆にええ顔せなとか、恥ずかしいからとか、格好悪いとか、怖いとかもうそんなんどうでもよくなってくる。もちろん、当たり前の挨拶や礼儀、感謝の気持ちは忘れたらあかんし、何でもかんでも好き勝手生きればいいかというとそうではない。世の中はそう上手く生きれないないように出来てる思う。皆そうやと思う。
その自分が思う通り上手く生きれない、あがいて泣いて苦しんで歓喜してを味わい、一生かけて楽しみ、おもろかったいうて笑えたらええなぁ。
今当たり前に命があり、ここに生きていることを時折想えば、みんなが笑って日々を過ごし、共存できるんちゃうか。まあ、そんな上手く感情もコントロールできへんけどね、できるだけ。
生きてるだけで儲けもんやし。生まれてこれただけ、ラッキーなんやけどね。宝くじ当選より倍率低いやろ。みんな、何億という精子の中で、勝ち残ったんやから。オナニーの中におったら、今の俺はもうここにはおらへん。
以前、NHKの地球ラジオで元バックパッカーとして10年後の未来に何を願うか?という質問にタイにはポーピエンという言葉があって、日本語で
足るを知るという意味なんやけれども、各々がこの足るを知るという本当の意味を理解出来たらもっと殺し合いや奪い合うこともなく、自分らしく生きれるんとちゃうか。いつの日か、宇宙人のバックパッカーが日本に遊びにきた時には地球人みんな笑顔で迎えてあげれたらええなと。そんな話をしたことがあったんやけれども、ホンマ、皆いがみ合わず仲よう暮らせたらええなぁ。
まあ、そんな24日の朝でした。
最後まで読んでくれてありがとう。
オッサンはキー言うて歓喜します。 忍オッサン