早寝早起き、そして電気と数字(Soi22)

久しぶりのブログ更新。ここ、タイも徐々に一年で一番の猛暑といわれている来月の旧正月、ソンクランに向けて、夏が始まりつつあるなぁ。日中はとにかく暑い。だから涼しく日差しのない早朝が勝負と、フンドシマンは常に早寝早起きを試みているのだが、なかなかうまくいかない。日本には「早起きは三文の得 夜なべは十文の損」という諺がある。語源、由来はいろいろあるとは思うが代表的なのが
1.「奈良説」
江戸時代に奈良では「鹿は神の使い」として保護されていたらしく、その鹿の死体が偶然にも自分の家の前で発見された場合、その家主は罰金として「三文」を徴収されるという掟があったそう。だから各家の主は早起きをして自分の家の前を確認し、もし家の前に鹿の死体があった場合は急いで家の前を掃除して罰則を逃れたことがその語源にあるという説。「朝早く起きると罰金三文を払わなくて良い」。言い換えれば「三文得した」と言われるようになったという説。もう一つは
2.「高知説」
土佐藩・山内家の家臣で野中兼山という方が、洪水対策として仁淀川の下流に堤を作り、その堤防の土をいち早く固めるために「朝、早起きして堤防を歩いたものに、褒美として三文の金子を与えるものとする」というお触れ書きを出した為、皆は「三文」を貰おうとこぞって早起きをして歩いたという説が有名である。
現代社会で早寝早起きは3文の得とはどの部分に当たるかはようわからないが、朝早く起きてやることをやり、仕事をした方が効率がいいとは思う。まあおっさんが思うに今と比べて、電気というものが存在しなかった時代。日が落ち、暗くなればできることもできないから寝るしかなく、明るくなれば明るいうちにやるべきことを終わらせるため、はやく起きる。
そういえば数年前、FarangPokPok(外国人がノックします。)というタイの旅番組の司会で、南タイ・チュンポン県の山奥、電気のない村にお邪魔したことがあった。参考映像はこちら

ฝรั่ง ป๊อก ป๊อก Season 4 Ep.5/1 -5/4

今現在、都会や街で暮らす人々にとって、もはや電気は当たり前。陽が沈んだ夜も明々と自由に電気を使用することができるから、テレビを見たり、スマートフォンをいじったり、夜中も明るい中、仕事をすることができる。電気があれば、おのずと夜が遅くなってしまうのだ。
「暗くなれば寝る。明るくなれば起きる。」という常識はもはや、24時間稼働である今の現代社会ではあまり通用しない。

電気のない村では、根本的に生活スタイルが違う。
まあ私、フンドシマンはこういうところでも常に生きていける自信はあるけれども。
仕事着はふんどし一丁、朝早く野良仕事をしては、食い物を探したり育てたり、太陽が頭上に来れば昼飯を食べて薪拾い、水を汲み、日が落ちる前にふんどしで身体洗い、同時に洗濯もして、火をおこし、夕食の支度をしてご飯を食べて、焚き火の火が落ちたら横になり寝る。電気がないから、携帯電話と言うものも存在しない。スマートフンを夜遅くまでいじる必要もない。朝、昼の作業を終えれば、明るいうちに晩御飯の用意、焚火が消えると寝るしかない。
もしいつか薪がなくなり、炎を起こせなくなると、現実に死というものも見え隠れし始める。
炎の大切さ、炎の扱い方…。
現代社会でこれだけ電気に頼っていると炎を扱える人もどんどん少なくなっていってしまうのではないか。
暗闇に慣れていない都会でいきなり停電なんかしたらパニック、大騒ぎになるだろう。ロウソクを灯せば、それでまた風情があってロマンチックでいいのに。笑
電気のない村では物理や数学では表せないこともたくさんある。1+1=2という定義は成り立たない時がある。
数字も然り、現在の生活で電気と数字にはかなり支配されている。いや、支配されているという言い方はちょっとおかしい。人間が依存している。いや、それが日常、当たり前の世の中。お金だったり時間だったり、歳だったり…。

うーん。なんか早起きは3文の得から話がそれてきたな。結局、何を話したかったかようわからんようになってしもたけれども、もう少し、自然の流れを尊重すべきというか、まあ陽があるうちに仕事を終え、夜はゆっくり休むということを今まで以上に心掛ければ、早寝早起きできるかなと。

最後まで読んでくれてありがとうございます。フンドシマンでした~!

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ