北タイの旅・ゴールデントライアングル編 Soi59

 メーサイ郊外、大自然の中でのワイワイ楽しい結婚式。お決まりのカラオケ大会も始まり、タイの田舎ながらの微笑ましい結婚式やったなぁ。フンドシマンのミッションも無事完了、夫婦お二人さん、忍ブランドのふんどし締め上げ儀式を日課として、健康な生活を送り、いつまでも幸せになりますよう。
 さて、折角久しぶりに北タイへ来たからには、時間が許す限り、いろいろ探検したい。
前回の記事はこちらから!北タイの旅・メーサイ編

 現時点からゴールデントライアングル(สามเหลี่ยมทองคำ)までは東へ約20キロ程か...とその時、フンドシマンと共に結婚式へ来ていた心ある懐の深い漢が、是非タクシーをチャーターして、黄金の三角地帯へ行こうではないかと!!有り難き幸せ!約20年ぶりにもなるチェンセーン(เชียงแสน)のゴールデントライアングル観光へ3人で向かう事に。

 そのゴールデントライアングルとはいったい何かと簡単に説明すると、タイ(チェンセーン郡)、ラオス(ボーケーオー県トンプーン郡)、ミャンマー(シャン州)3国の国境地帯で、黄金の三角地帯と呼ばれており、

世界最大の麻薬密造地帯、この辺りは特にアヘンやヘロインの原料となるケシが栽培されていた。

 バックパッカーでタイによく来てた頃、カオサン通りや観光地なんかで売られていたポストカードの中に、タイの山岳民族が竹のパイプで大麻を吸ってる写真や寝ころびながらキセルのようなパイプでオピウムを吸っている写真だったり、あたり一面ケシ畑の写真だったりといろいろ見かけた記憶がある。まさに北タイの奥地、山岳民族エリアだったり、国境辺り、まさにこの辺りだったりするのだろう。

今、まだ観光地で売られているかどうかはわからないが、(今回の旅の途中でも、タイ、ミャンマー、ラオスで山の谷間や周りから見えない場所でケシがこっそり育てられているとも聞いた。)

そのゴールデントライアングルエリア、まさに麻薬密造のトップに君臨していたのは今は亡き、麻薬王のクン・サ(中国語で昆沙、タイ語で(ขุนศ่า)、クンサーとも呼ばれている。中国名で張奇夫)であった。2007年10月31日にクンサー将軍は死亡、74歳でこの世を去った。

 第二次大戦の後、国民党は中国共産党との戦いに敗れ、その多くは台湾へ退いたのだが、国民党の一部は台湾へ行かずに、ミャンマーの東部、ミャンマー側のゴールデントライアングル地帯であるシャン州へやってきた。そこでは現地の村人がケシを栽培し、アヘンを精製していたらしく、国民党はそこでケシの栽培、及びアヘンの密輸をすることで党の活動資金を得ていたという。その国民党の一員でもあったクンサーもミャンマーの政府軍との戦いを繰り広げ、次第に力をつけていった。そして、自ら率いる強力な軍事組織を形成し、アヘンによる莫大な利権を得ては、戦闘の武器を買い揃え、見る見るうちに勢力をつけていったという。1990年頃までの全盛期は世界中に散らばるヘロインの6割、アヘンは8割以上、この黄金の三角地帯で作られていたというから、半端ない場所である。


だが、現在はその黒い影も薄れ、のどかな風景が広がる国境の町となった。今、タイ北部やミャンマー、ラオスによる野焼きの時期、思った通り煙が多くて非常に空気が悪く、景色は全くよくなかったが。(立ってる場所がタイ側、メコン川に向かって左側がミャンマー、右側がラオス) 北タイの旅・ゴールデントライアングル編 その2 Soi60へ続く

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